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2007-12-03
誕生と老いと死と(長文)
- 2007-12-03 (月)
- コラム

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思えば、長女の誕生という一大事を迎えたこの一週間は、若干茶化した言い方になってしまうが、『ゆりかごから墓場まで』を見つめなおすきっかけとなるであろう、ある意味「転機」と呼ぶに相応しい一週間となった。
今回の僕の、実家への一週間にも及ぶ帰省の目的は、勿論長女の誕生に立ち会う為なのだが、それ以外にも二つの目的が存在していた。
ひとつは祖母への面会。
僕の祖母はかつて、孫である僕から見ても、それはそれは怖い人だった。
地元の魚屋の娘で、最初に嫁いだ先の夫君が亡くなり、その後漁師を生業としていた僕の祖父の下に嫁いだという骨太なバックボーンがそうさせるのかとても頑固者で、一度こう、ときめたら何があっても曲げない”頑な”な人だった。
また、非常に短気なところもあって、子供の時に祖母と僕が喧嘩をした時のこと、理由などはたいしたこともない、よくある喧嘩だったと記憶しているのだが、怒った祖母はまだ小学生だった僕の顔面目掛けて至近距離から牛乳瓶を投げつけるというとんでもないマネをやってのけたことがあった。
牛乳瓶は僕の目の上あたりにハードヒットし、おそらく大いに痛かったと思うのだが、そのあたりはあまり記憶が無い。が、それ以来この婆さんには逆らうな、という教訓が僕に深く刻まれたのだった。
こんな性格の人だから、家族内で揉め事になることも少なくは無かったが、でも僕はこの祖母が大好きだった。共働きだった両親に代わって僕を育ててくれたのは紛れも無くこの祖母であるし、僕も自分が「おばあちゃん子」であることを今でも自認して憚らない。
僕よりも長生きするんじゃないか、とすら思っていた祖母も今では御歳80を大きく越え、あと数年で90歳に手が届く。
もともと認知症の傾向があった彼女は、転倒による骨折を機に半寝たきりとなり、この秋介護老人施設へと入所した。
就職をし、家を出て、結婚をし、この冬、僕には愛すべき娘が生まれた。
実際に祖母と同居していた僕の両親が、祖母に対してとった老人施設への入居という選択に、家を出た自分が口を挟む事はできないけれど、結婚して7年、ようやく授かった彼女にとってのひ孫の誕生を伝えることが、せめて自分のすべき事という思いがあった。
以前にも面会に訪れているのだが、あの元気で、怖くて、優しかった僕のおばあちゃんは、もはやそこにはいない。
自力ではベッドから起き上がることもできず、臀部が痛むため車椅子にも乗れずトイレにもひとりではいけない、歯が無い為固形物を咀嚼することもできないし、喋っていることも判然としない、施設に知り合いもいない、孤独な老人がそこいるだけだ。
僕は職員の方の許可を貰い、祖母の小さくなった肩を支え、ベッドから起き上がらせた。
まだ小さかった僕を厳しく殴りつけて、僕の頭を優しく撫でてくれたあの腕は、指は、すでにしわくちゃで、節が浮かび上がり、冬を前に葉の落ちた針葉樹の様に、か細く寂しげで、なにかの終焉をひしひしと感じさせるものになってしまった。
胸にこみ上げる薄暗い気持ちに蓋をして、僕は彼女の手を握り、もうすっかり遠くなってしまった耳にまで、僕の声が届くようにと顔を間近に近づけて、ゆっくりと、短く区切りながら喋りかける。
「婆ちゃん、今週ね、ひまごが生まれたよ。俺の子供。女の子なんだ。すごーく元気でさ。おむつを替えてあげたらさ、顔を蹴られちゃったんだ」
それを聞くと、彼女はもともとクシャクシャの顔を、もっとクシャクシャにして笑った。
その時の彼女の顔は、確かに、僕の覚えている「彼女の」笑顔そのもので、もう一本の歯も残っていない口で「ほうか、ほうか・・・」と言ったその後の言葉は、残念ながら聞き取れなかったけれど、きっと喜んでくれたんだと思う。
例え彼女が、明日にはその事を忘れてしまっているとしても、僕は、彼女が浮かべた笑顔をずっと覚えていよう。そして、たった一度でも、彼女にそんな笑顔を浮かばせるができたという事を、自分に誇ろうと思う。
もうひとつの目的。それは友人の墓参り。
幼稚園からの友人が、今年突然に亡くなった。
今でも実家のアルバムには、幼少の頃彼と撮った写真が残っているし、中学時代、つまらない駄洒落ばかり言って周囲から容赦の無いツッコみを受けては笑っていた、彼の朗らかな面ばかりが、ハッキリと思い起こされる。
高校卒業以降、連絡も取ってはいなかったけれど、久しぶりに聞く同級生の名前が訃報によるものだというのは、なんともやりきれない気持ちだ。
事前に場所を聞いていた墓地へ、友人と二人で向かう。
墓碑に刻まれた名前は当たり前のことだが彼と同じ名前だった。思い出の中にある彼の暖かで元気な笑顔と、目の前の冷たい墓石に刻まれた文字とを結びつけることは、ついに最後までできなかった。
彼が最後に取った行動は、僕は絶対に認めてあげられないし、まだ彼しか入っていないと言う真新しい墓石に刻まれた「ありがとう」の文字を、彼のご両親はどんな気持ちで刻み込んだのか、僕には知る由も無い。
が、せめて今は安らかに眠って欲しいと思う。
僕には子供が生まれた。
祖母は家族と離れ、そう遠くは無い未来、最後の時をそこで迎える。
友人は短すぎる生を終え、天へと帰った。僕だっていつかは、そう。
命は生まれ、消える。されど世は事も無し、コトもなし。
生まれては消える泡沫が世の常であることを、僕らは忘れてしまいがちだけれど、例えば今乗っている車がなにかの弾みでひっくり返れば僕は死に、冷たい墓に入るだろう。妻は泣くだろうし、親も泣くだろう。子供だって路頭に迷う。
無事誕生した長女だって、術後順調な妻だって、出産に際して万が一、という可能性がなかった訳じゃない。
もし、祖母があの時転倒しなければ。
もし、友人に相談する相手がいたら。
ifの話をしはじめたらキリが無いし、それは実際意味の無い事だ。その場にいても僕に祖母は救えなかったし、友人の死を止めるコトだってできなかっただろう。
人が干渉できるのは、せいぜいその両手が届く範囲でしかない。
すごくちっぽけで、できることも限られていて、世間全体からみたらそれは端数にも満たないくらいの、本当に狭すぎる領域だと思う。
だからせめて、この両腕で届く範囲にいる人たちを、できうる限り守っていけたらと思う。精一杯抱きしめてあげたいと思う。そうしていくしかないんだと、強く思った。
同行した友人と分担して、華と線香を供え、墓石に水を掛け、冥福を祈った。
墓前での、20年ぶりとなる近況報告。生前は関東圏で働いていたんだってね。その時話ができればよかったね。僕に家族が増えたこと。生活は楽ではないけれど、君の分まで頑張るよ。君の駄洒落、面白くは無かったけれど、ずっと忘れないよ。
生まれ変わりなんて少しも信じていないけれど、次があったら達者で生きろよ。今はただ、安らかに。
駆け足で「生」と「死」を意識させられたこの一週間。
正直まだ、自分の中で消化しきれずに、思い返すと冷静でいられない部分が大きいのだけれど、この貴重な一週間で感じたことを何かの形で残すコトは、少しは意味のある事のような気がして、あえてまとまらないままにここに記した。
ばあちゃんの笑顔と、友人の墓前で誓った事を、決して忘れないように。
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