- 2008-05-09 (金) 16:03
- コラム

ちょっと前、目にしたエントリーについて。
ひとつは、「履歴書ブログ」。
もうひとつは、「日記ブログ」。
「履歴書ブログ」は社会的なインセンティブを得ることが目標のブログです。
*2社会的なインセンティブを得ようと思ったら、極論を言っちゃうとブログはすなわち履歴書と同じような働きをさせなくてはいけません。ブログを自己PRの場として捉えなくてはいけない。ブログ=日記=履歴書は絶対成り立たないでしょ?
日本のブロゴスフィアがいまいちぱっとしない*5のはおそらく、この履歴書ブログと日記ブログをごちゃ混ぜにして使ってる人が多いからだと思うんです。
KAZAANATOMY様より抜粋
これに対するはてブコメに「もう分けてるよ」って意見が多くて正直びびった。
なんという意識の高さか。凄い。僕のブログなんて、遅刻回避に全力疾走したカバンの中のお弁当みたいに、フルスイングでゴチャゴチャブログだってのに。
日本のブロガー始まってんな、ん?ならなんで日本のブログは始まりから終わってるなんて言われちゃうんだろう、不思議、なんて考えていた。案外終わってないんじゃん?
以前僕が書いたエントリ、『特化ブログ』と『雑多ブログ』について。
『特化ブログ』は自分のストロングポイントをアピールする「履歴書ブログ」、日々の徒然を雑然と記述した『雑多ブログ』は『日記ブログ』と言い換えられるか。
というかですね、ブログというツール自体実はあまり『日記』には向いていないのではないかなあと思っている。
ブログが日記に向いていないと思うわけ
理由はブログの「カテゴリ」ありきの思想。
記事の性格ごとにカテゴライズする前提でブログは構築されているが、このカテゴリが決定的に『日記』とは馴染まない。
例えば僕のブログのカテゴリを大別すると、『プログラム』『テキスト(日記)』『フォト』になるが、これらは全て僕が持っている属性の一つである。
要素のそれぞれは独立しているけれど、僕の中で厳密にカテゴライズされている訳ではなく、これ以外の要素も含め、多種多様な要素が混ざり合っている。
プログラムを通じて感じた事が、プログラムのカテゴリを越えた人生訓となる場合もあるし、育児を通じて見えた視点が写真の構図に影響を及ぼすこともあるだろう。境界は曖昧。アナログ。
僕が『日記ブログ』を書いていると、このカテゴライズ作業がどうにも腑に落ちなくて気持ちが悪くって、『写真』6で『日記』が4だから『写真』カテゴリでいいかな、なんて落としどころを見つけて当てはめたりしている。
カテゴリは複数設定可能だが、日記を見た人が『育児』カテゴリを閲覧している場合、『育児』カテゴリに属する記事のみが同カテゴリの記事として表示され、それ以外の部分は通常マスクされ見えてこない。デジタル。
『日記』を書くという行為がその人の、0コンマなんぼで混ざり合ったヒトトナリを書き著す作業とした場合、情報の効率的取捨選択をサポートするカテゴリという概念がそもそも相容れないのではないかなと。
「カテゴリ」に、「人格」は宿らない。
でも、あえての『雑多ブログ』
引用先のブログで「履歴書ブログ」と表現しているものは、履歴書というよりむしろ名刺に近い印象を持つ。
履歴書って「趣味欄」とか、仕事に関係ないこともけっこう書くし。*1
就活の時履歴書の趣味欄に「マージャン」と書いていた、就職課の担当に言わせると大馬鹿者であった僕でも、仕事で貰った名刺の裏に自分の子供の写真が印刷してあって「どうです、可愛いでしょう」フフフ、なんてことになったらああ、この人とは仕事はできないなあと思う。
リアルで顔を合わせている人同士だって、プログラムに興味の無い人にプログラムの話をしてもコミュニケーションが成り立たない。営業職の彼にPythonの美しさを力説したところで普通に無視されるだけだろう。
独身の友人に僕の愛娘の可愛らしさを伝えてあげようととっておきの一枚を写真年賀状にして送るとかえってうざがられたりする。KYだ。
シモネタが嫌いな女性の前でシモネタを言ったりしたらもう、下手うったらセクハラだ。裁判だ。
育児日記が見たい人がウチのブログに来た場合、トップページに再新記事のjavascriptのソースコードなんて書いてあった日には、すわ、これなんの呪い、とそのままサヨウナラなんてことになる。逆もまた。
最初から属性が(大まかと言えども)認知されている友達や芸能人ならまだしも、ほとんどの場合初対面であるネット世界において、初手から自分全開!で行ってもまあ引かれます。惹かれるんじゃなくて。
受け側として興味がある(理解できる)分野以外は完全なノイズなんだよなあ。
だから『日記』は基本知り合い同士のSNSなんかの方が親和性が高いんだろう。
「コミュニティ」なんて本人を象る属性記号をこぞってぶら下げてるしなあ。
ネットだからこその人格分裂のススメ
そのブログは絶対あなたの価値を高めてくれるはずなのに、3日に1辺どうでもいい情報が載ってるからその価値が半減してしまってる、そんなブログが多いと思うんですよ。
KAZAANATOMY様より抜粋
僕みたいなブログは、『お子様ランチ、ただしほとんどの料理がゲテモノ料理』みたいな、実にどうでもいいもの満載ってことになるんだろうなあ。
僕は意図的に、同じカテゴリが連続しないように、プログラムという専門分野からシモネタじみた日記まで、連続した不連続エントリーを続けているんだけど、なんでかと言えばそのほうが楽しいから。
そもそも記事を分割して、それぞれが人を満足させるほどのクオリティを保たせる自信が無いってこともある。
複数ブログの管理がメンドクサイというのも理由の一つだけど。
読者Aにとって3日にいっぺんのどうでもいい腐れエントリーでも、読者Bにとっては一日千秋待ちわびた珠玉のエントリーかもしれないじゃないか。
だからお前はGoogleAdsenceで2ドルしか稼げないんだよ、という声が聞こえそうだけど。
ブログをソーシャルメディアと捉えるなら僕のブログは蛇足だらけの雑文ノイズブログだけれど、ブログをエンタテインメントと考えたならば、そのノイズにこそ価値を見出せるのではないかなと思うのですよ。
同じ笑いばかりでは書いてるこっちも飽きちゃうでしょ。少なくとも、僕は飽きる。 結果、ブログが続かない。
読むほうも面白くないんじゃないかな。書いてる本人が面白くないブログじゃ。
僕のブログにエンタテイメント性があるかは置いておいて、僕と言う人間に、少しでも興味を持ってくれるように、楽しんでもらえるように、これからも、断固として、ノイジーな、毒にも薬にもならない、でも時々、ちょっと面白いねと思われるような雑多ブログを、自分が面白いと思える雑文を、書き続けるぞ、と、今の会社の社長との面接で、業界の動向でもキャリアの志向性でもなく、マージャンの話を延々として入社した僕は思った。
普段、空気を読みすぎるくらい読んで疲れた、あーもう息をするのもめんどくせー(byゲイラ様)って世の中なんだから、ネットの世界でくらい、あえて空気読まない方向でもいいんじゃないかなー。
ブログは実名で書こうとか、特化ブログで価値を高めようってのもそれはそれでオッケー。なんだけど、そればっかりってのもなんだか疲れる話じゃないか。
*1そういう意味では日記ブログ=履歴書ブログと言えないことも無い。
*でも執筆者本人が顔出ししてたりとかって、名前しか知らない人に比べたら興味をひかれるのも事実。それも手段だよね。
*セキュリティ対策としてプライベートな情報を書かないとかってのはまた別の話。
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KY語辞典 BLOCKBUSTER+現代略語研究会 白夜書房 2008-04-15 |
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